第1章:あなたは「決められない」ことに悩んでいませんか?
「どの会社に就職すればいいか分からない」
「今の仕事を辞めたいけれど、次に何をしたいか分からない」
「結婚すべきか、まだ自由でいたいのか、決められない」
私たちの人生は、選択の連続です。しかし、その「選択」があまりにも重く、難しく感じられ、決断を先延ばしにし続けてしまう。まるで、人生というレストランでメニューを渡されたまま、何時間も注文ができずにいるような状態。
そんな「決断を回避し続ける心理状態」を、俗に「モラトリアム症候群」と呼ぶことがあります。
この言葉を聞いて、ドキッとした方もいるかもしれません。「症候群」という言葉がつくと、まるで自分が何か深刻な「病気」であるかのように感じ、不安になるかもしれません。
しかし、まず最初に、そして最も重要なことをお伝えします。
「モラトリアム症候群」は、正式な医学的・精神医学的な診断名(病名)ではありません。
(例えば、うつ病や不安障害のように、DSM-5やICD-11といった国際的な診断基準に定められたものではありません。)
では、これは一体何なのでしょうか?
これは、ある特定の「状態」や「心理的傾向」を指す言葉です。そして、その根底には、人間が成長する上で誰もが通る、非常に重要で「健康的」なプロセスが隠されています。
この記事の目的は、あなたを「病気だ」と診断することではありません。むしろ、「モラトリアム」という言葉の本来の意味を知り、なぜ今あなたが「決められない」のかを深く理解し、その状態を「病」としてではなく「成長のプロセス」として乗り越えていくための地図を手渡すことです。
これから、この「モラトリアム」という概念の旅に出ましょう。まずは、この言葉の生みの親である、心理学の巨人の話から始めなければなりません。
第2章:「モラトリアム」の本当の意味 —— エリクソンの大いなる「猶予期間」
「モラトリアム(Moratorium)」という言葉を聞いて、あなたは何を想像しますか?
多くの人は「猶予(ゆうよ)」や「一時停止」といった意味を思い浮かべるでしょう。金融用語(支払い猶予)などで使われることもありますね。
この言葉を心理学の舞台に持ち込んだのが、ドイツ生まれの発達心理学者、**エリク・H・エリクソン(Erik H. Erikson)**です。
エリクソンは、人間の生涯を8つの段階(乳児期から老年期まで)に分け、各段階で乗り越えるべき「心理社会的危機(発達課題)」があると提唱しました。
そして、青年期(だいたい10代後半から20代前半、あるいはそれ以降)における最大の課題こそが、**「アイデンティティ(自己同一性)の確立」**であるとしたのです。
アイデンティティとは何か?
簡単に言えば、「自分とは何者か?」という問いに対する、自分なりの確固たる答えや感覚のことです。「私はこういう人間だ」「私はこれを大切にして生きていく」「私は社会の中でこういう役割を担う」という、自分軸の感覚です。
このアイデンティティを確立するために、青年は「自分は親の言う通りに生きるべきか?」「社会が良しとするもの(良い大学、良い会社)が本当に自分の幸せか?」「自分は本当は何に情熱を感じるのか?」といった問いと真正面から向き合うことになります。
この時、すぐに「はい、私のアイデンティティはこれです」と答えを出せる人はいません。
様々な可能性を試し、社会的な役割(学生、アルバイト、友人、恋人など)を演じ、時には反抗し、失敗し、悩み、深く考える時間が必要です。
エリクソンは、この「アイデンティティ確立のために社会的な責任や義務を一時的に免除され、自由に自分探しを試行錯誤できる期間」こそが重要であるとし、これを「心理社会的モラトリアム(Psychosocial Moratorium)」と名付けました。
そうです。エリクソンにとって「モラトリアム」とは、**病的なものでも、怠惰なものでもなく、健全な大人になるために「不可欠なプロセス」であり、むしろ「与えられるべき権利」**だったのです。
この期間、若者は社会(親、学校、地域)から「まあ、まだ若いんだから」と、ある程度の大目に見てもらえる猶予の中で、自分を試します。旅に出たり、様々な思想に触れたり、激しい恋愛をしたり、あえて無目的に過ごしてみたり…。
これらすべてが、自分という輪郭を確かめるための「実験」なのです。
この「実験」の期間を経て、青年は「よし、私はこの道で生きていこう」という自分なりの確信(アイデンティティ)を手にし、次の発達段階(成人期初期:親密性の段階)へと進んでいきます。
エリクソンの理論によれば、このモラトリアム期間を十分に経験せず、親や社会の期待を鵜呑みにして「仮初(かりそめ)のアイデンティティ」を早々と手に入れた人(「早期完了(フォアクロージャー)」と呼ばれます)は、後になって(例えば30代、40代になってから)「本当にこれでよかったのか?」という深刻なアイデンティティの危機(中年の危機)に直面する可能性がある、とさえ示唆しています。
つまり、エリクソンの視点に立てば、「今、決められない」と悩んでいるあなたは、怠けているのではなく、むしろ「自分とは何か?」という最も重要な発達課題に、真剣に取り組んでいる証拠なのかもしれないのです。
第3章:なぜポジティブな「猶予期間」が、ネガティブな「症候群」になったのか?
エリクソンの理論では「不可欠なプロセス」とされたモラトリアム。
それがなぜ、現代の日本では「症候群」という、どこか病理的なニュアンスを持つ言葉で語られるようになったのでしょうか。
この背景には、日本におけるこの概念の受容の歴史と、社会の変化が関係しています。
1. 「モラトリアム人間」の登場
日本で「モラトリアム」という言葉が広く知られるきっかけの一つとなったのが、精神科医の故・小此木啓吾(おこのぎ けいご)氏による1978年の著書『モラトリアム人間の時代』です。
当時の日本は高度経済成長を終え、豊かさが実現された時代でした。大学進学率も上昇し、多くの若者が「すぐに社会に出て働かなくてもよい」猶予期間(まさにモラトリアム)を享受できるようになりました。
小此木氏が指摘した「モラトリアム人間」とは、この猶予期間に安住し、いつまでも大人になること(社会的な責任を引き受けること、自己を限定すること)を拒否し、まるで「ピーターパン」のように青年のままでいようとする人々の姿でした。
2. 「終わらない猶予期間」への変化
エリクソンの想定したモラトリアムは、あくまで「一時的」なものでした。いずれは終わりを迎え、アイデンティティを確立して社会に出ていく、という前提がありました。
しかし、現代社会では、この「猶予期間」がなかなか終わらない、あるいは、終わらせるのが非常に困難な状況が生まれています。
- 豊かさによる選択肢の増加: 昔よりも「選べる」ようになりました。職業も、生き方も、ライフスタイルも多様化しました。しかし、選択肢が多すぎることは、かえって私たちを「選べない」状態に陥らせます(これは「決定麻痺」や「選択のパラドックス」と呼ばれる心理現象です)。
- 「大人になること」の魅力低下: かつては「大人になること」(就職、結婚、家庭を持つこと)が明確な憧れや目標でした。しかし現代では、大人が抱えるストレスや経済的困難を目の当たりにし、「急いで大人にならなくてもいい」「むしろ、今のままでいたい」と感じる若者が増えても不思議ではありません。
3. 「症候群」と呼ばれる状態
こうして、本来は「アイデンティティ確立のための積極的な試行錯誤の期間」であったはずのモラトリアムが、単なる**「決断の先延ばし」「責任の回避」「現実逃避」**という側面だけを強く帯びるようになった状態。
それが、「モラトリアム症候群」と呼ばれるものの正体です。
具体的には、以下のような特徴が見られる状態を指すことが多いようです。
- 自己決定の回避: 進路、就職、結婚など、人生の重要な決断をいつまでも先延ばしにする。
- 万能感の維持: 「自分はまだ本気を出していないだけ」「やればできるはずだ」という感覚(万能感)を捨てきれず、現実の場で自分を試すこと(=失敗するリスク)を恐れる。
- 理想主義と現実のギャップ: 高い理想を持っているが、現実的な努力や妥協ができない。
- 他者への依存: 経済的、精神的に親や他者に依存し、自立することを無意識に避ける。
- 慢性的な焦燥感と不安: 何も決めていない、進んでいない自分に焦りや不安を感じているが、具体的な行動には移せない。
これらは、怠けているのではなく、「アイデンティティを確立する」という課題の前で、どう動けばいいか分からず足がすくんでしまっている「アイデンティティの危機」あるいは「アイデンティティの拡散」状態とも言えます。
第4章:ケーススタディで見る「決められない」心の風景
「モラトリアム症候群」は診断名ではないため、「こういう人がそうだ」と断定はできません。しかし、多くの人が共感しうる、典型的な「決められない」状態のパターンは存在します。ここでは、3つの架空のケースを見てみましょう。(※これらは特定の個人ではなく、一般的な傾向を元に構成したものです)
ケース1:就職活動が「始まらない」Aさん(大学4年生)
Aさんは、都内の有名私立大学に通う大学4年生。周りの友人たちは、昨年からインターンや業界研究に励み、すでにいくつかの内定を手にしています。
Aさんも「そろそろ本気でやらないと」と頭では分かっています。リクルートスーツも買いました。しかし、どうしてもエントリーシートを書く手が動きません。
「自分が何をやりたいのか分からない。どの業界も、どの会社も『悪くはない』けれど、『これがやりたい!』という情熱が湧かない」
「下手に決めて入社して、『こんなはずじゃなかった』と後悔するのが怖い」
「周りは『とりあえず大手』とか『安定』とか言うけれど、そんな理由で人生の大きな部分を決めていいんだろうか…」
彼は、企業のパンフレットやウェブサイトを延々と見比べ、自己分析の本を何冊も読みます。情報を集めれば集めるほど、どの選択肢にもメリットとデメリットがあり、選べなくなっていきます。
彼は「完璧な選択」「間違いない選択」をしようとするあまり、**「不完全でもいいから一歩踏み出す」**という選択ができなくなっています。彼は、就職活動という「社会に出ていくための決断」を前に、モラトリアム(大学という猶予期間)の出口で立ち往生しているのです。
ケース2:「ここではないどこか」を探し続けるBさん(28歳・転職3回)
Bさんは、新卒で入ったIT企業を2年で辞め、その後、広告代理店、Webメディア運営会社と、すでに3回の転職を経験しています。
彼の転職理由は、いつも似ています。
「入社前のイメージと違った」
「この会社にいても、自分の本当の力は発揮できない」
「もっと自分が輝ける『天職』があるはずだ」
Bさんは優秀で、好奇心も旺盛です。新しいスキルを学ぶのも早く、どの職場でも最初は活躍します。しかし、半年も経つと、その仕事や職場のアラが見え始めます。
「結局、やっていることは雑務だ」「上司の考えが古い」「給料が見合っていない」
彼は「理想の職場」「完璧な天職」を追い求めています。しかし、どんな仕事にも地味な側面や、人間関係の摩擦はつきものです。Bさんは、その「現実」を受け入れ、そこで自己を確立する(=「私はここの一員として、この現実の中で最善を尽くす」と決める)ことができません。
彼は「まだ本気を出していない」という万能感を維持するために、一つの場所に留まって「評価が下される」ことを無意識に避け、「ここではないどこか」へと居場所を変え続けるのです。これは、社会人になってからも続く「終わらないモラトリアム」の一形態と言えます。
ケース3:「いつか」のために「今」を保留するCさん(32歳・フリーター)
Cさんは、大学卒業後、一度も正規雇用で働いたことがありません。現在は、週に数回のアルバイトをしながら、実家で暮らしています。
彼は怠け者というわけではありません。非常に知的で、特定の分野(例えば、哲学や映画)に関する知識は専門家並みです。彼はいつも「いつか自分の納得のいく作品を創りたい」「本当に意味のある仕事をしたい」と語ります。
その「いつか」のために、彼は様々なセミナーに通い、資格の勉強をし、自己啓発書を読み漁ります。しかし、それらを「現実の仕事」や「作品の制作」という形に結びつけることはしません。
彼の親は「いつまでもフラフラしていないで、ちゃんと就職しなさい」と言いますが、Cさんにはそれが「理想を捨て、現実に妥協しろ」という言葉に聞こえてしまいます。
Cさんは、アルバートという不安定な立場(=社会的な責任が軽い立場)に身を置くことで、「自分はまだ何者でもない」=「何者にでもなれる可能性」という、青年期特有の万能感を守ろうとしています。
彼は、現実の社会にコミットし、「自分はこれしかできない人間だ」と限定されることを極度に恐れています。これもまた、モラトリアムの「猶予期間」から抜け出せない状態の一例です。
これらのケースに共通するのは、「決断によって何かを得ること」よりも、「決断によって何かを失うこと(他の可能性を捨てること)」への恐怖が勝っている状態だと言えるでしょう。
第5章:「決められない」を生み出す現代社会の罠(原因と背景)
なぜ、現代の私たちは、Aさん、Bさん、Cさんのように「決められない」状態に陥りやすいのでしょうか。それは、個人の意志の弱さだけの問題ではなく、私たちが生きる「時代」そのものが、モラトリアムを長引かせ、「症候群」化させる要因を孕んでいるからです。
1. 選択肢の爆発的増加(決定麻痺)
前述の通り、現代は「選択肢が多すぎる」時代です。
かつては「大学を出たら、良い会社に入り、結婚して家を買う」という、ある程度決まった「人生のレール」が敷かれていました。そのレールに乗るか反発するかの選択はあっても、レール自体は明確でした。
しかし今はどうでしょう。
終身雇用の崩壊、働き方の多様化(フリーランス、起業、リモートワーク)、生き方の多様化(結婚しない選択、子供を持たない選択、海外移住)。
「何でも選べる」ことは、一見すると素晴らしい自由です。しかし、心理学者のバリー・シュワルツが指摘するように、**選択肢が多すぎると、人はかえって満足度が下がり、選ぶこと自体が苦痛になり、結果として何も選べなくなる(決定麻痺)**ことが分かっています。
「選ばなかった方の人生」が、常によく見えてしまうのです。
2. 失敗への過度な恐怖と「完璧主義」
現代は「失敗が許されない」と感じさせる空気が蔓延しています。
特にSNSの普及は、これに拍車をかけました。
- 他者との過剰な比較:SNSを開けば、友人や見知らぬ他人の「成功した姿」「楽しそうな姿」(=編集された理想の姿)が洪水のように流れ込んできます。それに比べて、まだ何も成し遂げていない自分、迷っている自分は「ダメだ」と、自己肯定感が削られていきます。
- 「一度きり」の人生という呪縛:「人生100年時代」と言われながらも、「新卒カード」「20代のキャリア」など、特定の時期の失敗が後々まで響くという恐怖感が強くあります。
「どうせやるなら完璧に」「失敗するくらいなら、やらない方がマシ」。
この完璧主義が、私たちを「最初の一歩」から遠ざけ、モラトリアムの安全地帯に留まらせようとします。
3. 「新たなる成人期(Emerging Adulthood)」の出現
ここ数十年、先進国において、青年期が非常に長くなっているという指摘があります。
これを、心理学者のジェフリー・ジェンセン・アーネット(Jeffrey Jensen Arnett)博士は、**「新たなる成人期(Emerging Adulthood)」**という新しい発達段階として提唱しました。
これは、だいたい18歳から29歳頃までの期間を指します。
かつては、この年齢になれば「結婚」「就職」「親からの独立」という「大人の証」を手に入れているのが普通でした。
しかし現代では、
- 高等教育(大学・大学院)の長期化
- 経済的自立の困難化(非正規雇用の増加、奨学金の返済)
- 結婚年齢の上昇
などにより、この期間の若者は「もう子供(青年)ではない」しかし「まだ完全な大人でもない」という、非常に不安定で宙ぶらりんな状態に置かれます。
アーネットによれば、この「新たなる成人期」は、まさにエリクソンが想定したモラトリアム(自分探し、アイデンティティの探求)が、社会構造的に延長された期間だと言えます。
この期間は、可能性に満ちた自由な時期であると同時に、自分が何者なのか、どこへ向かうべきかが定まらない、非常に不安でストレスフルな時期でもあります。
現代の「モラトリアム症候群」とは、個人の問題であると同時に、この「新たなる成人期」という社会的な猶予期間(あるいは不安定期間)の中で、多くの若者が経験する必然的な「揺らぎ」の姿でもあるのです。
第6章:もし「モラトリアム」で苦しいと感じたら(決断のためのヒント)
ここまで読んで、「自分はまさにこの状態だ」と苦しくなった方もいるかもしれません。
しかし、思い出してください。モラトリアムは「病気」ではありません。あなたが「自分自身」になろうと、真剣にもがいている証拠です。
大切なのは、「モラトリアム状態」をゼロにすることではありません。人間は生涯、迷い続ける生き物です。大切なのは、その「迷い」や「不安」を抱えながらも、**「決断し、一歩踏み出す」**ための具体的な技術を身につけることです。
ここでは、そのためのいくつかのヒント(処方箋ではなく、あくまでヒント)を提案します。
1. 「完璧な選択」を捨てる(最善ではなく「満足」を目指す)
私たちは「ベストな選択(唯一の正解)」を探そうとして動けなくなります。
しかし、人生に「選ばなかった方の人生」と比較するすべはありません。
心理学者のハーバート・サイモンは、人間の意思決定には2つのタイプがあると言いました。
- マキシマイザー(Maximizer): 常に「最善の選択」をしようと、すべての選択肢を比較検討し続ける人。
- サティスファイサー(Satisficer): 自分の基準(これくらいでOK)を満たせば「満足」し、決定できる人。
研究によれば、マキシマイザーは客観的には良い選択をしているかもしれませんが、選択後の満足度は低く、後悔しやすいことが分かっています。
「モラトリアム症候群」に陥りやすい人は、このマキシマイザーの傾向が強いと言えます。
対処法:
「完璧な天職」を探すのをやめ、「まあまあ興味がある」「これなら続けられそう」という**「満足できる選択(Good Enough Choice)」**を意識的に選んでみましょう。決断とは「選ぶ」ことであると同時に、「選ばなかった他の可能性を捨てる」ことだと覚悟を決めることです。
2. 「小さな決定」の練習をする
大きな決断(就職、結婚)ができないのは、日々の「小さな決断」の筋力が落ちているからかもしれません。
「今日のランチ、何にする?」
「今週末、何をする?」
こうした小さな問いに対しても、「うーん、どっちでもいい」「(相手に)任せるよ」と、決断を先延ばし(あるいは他人任せ)にしていないでしょうか。
対処法:
日常の些細なことから、「自分で決める」練習をします。
「今日はパスタが食べたいから、パスタにする」
「今週末は映画を観に行く」
そして、その**「自分で決めた」結果(たとえそのパスタがマズくても)を、自分で引き受ける**練習をします。
この小さな「自己決定→実行→結果の引き受け」のサイクルが、大きな決断をするための「自己効力感(自分ならできるという感覚)」を育てます。
3. 「行動」によって「やりたいこと」を見つける
「やりたいことが分からないから、動けない」
これは、モラトリアム状態の人がよく口にする言葉です。
しかし、多くの場合、順番が逆です。
**「動く(行動する)から、やりたいこと(あるいは、やりたくないこと)が分かる」**のです。
私たちは、頭の中だけで(自己分析や情報収集だけで)「やりたいこと」が見つかると信じがちですが、アイデンティティは「行動」と「他者からのフィードバック」によって形成されます。
対処法:
壮大な「天職」を探す前に、まずは「ちょっと興味があること」を「とりあえず」やってみましょう。
アルバイトでも、ボランティアでも、習い事でも、副業でも構いません。
「合わなければ辞めればいい」くらいの軽い気持ちで行動してみる。その「試行錯誤(Trial and Error)」こそが、エリクソンの言う「実験」なのです。
4. 情報や「他人の物差し」を遮断する時間を持つ
私たちは常に「他人の物差し」に晒されています。SNSでの「いいね」の数、年収、フォロワー数、世間体…。
こうした他人の物差しで自分を測っている限り、「自分にとっての幸せ」は見つかりません。なぜなら、それは「他人から見て幸せそうに見える自分」を探す作業になってしまうからです。
対処法:
意識的にデジタルデトックスの時間を設けましょう。SNSから離れ、一人で静かに過ごす時間を作ります。
そして、「自分は、本当は何に価値を感じるのか?」「他人にどう思われようと、これだけは譲れないものは何か?」を自問してみましょう。
答えはすぐに出なくて構いません。大切なのは、他人の声ではなく、自分の内側の声に耳を傾ける「時間」を持つことです。
5. 専門家を頼る(一人で抱え込まない)
「決められない」状態があまりにも長く続き、日常生活(起きる、食べる、人と会う)にも支障が出ている場合。
あるいは、決断できない背景に、自己肯定感の極端な低さ、過去のトラウマ、あるいは「うつ病」や「不安障害」といった別の要因が隠れている可能性もゼロではありません。
モラトリアムは病気ではありませんが、それが長期化し、深刻な生きづらさにつながっている場合は、専門家の助けを借りることも非常に賢明な「決断」です。
臨床心理士や公認心理師によるカウンセリング、あるいはキャリアカウンセラーへの相談は、「自分」という分かりにくい存在を客観的に見つめ直し、考えを整理するための強力なサポートとなります。
第7章:結論:「モラトリアム」は、あなたを殺さない
「モラトリアム症候群」——。
この言葉の響きには、どこか停滞と不安の匂いがつきまといます。
しかし、私たちが今日、エリクソンの理論まで遡って確認してきたように、モラトリアムの本来の姿は、**「自分自身になるために、悩み、試行錯誤する、不可欠で創造的な期間」**でした。
現代社会が、その「悩み」を「病」であるかのように扱わせ、その「試行錯誤」を「失敗」であるかのように恐れさせるだけなのです。
もし、あなたが今、人生のメニューの前で立ち尽くしているのであれば。
焦って、周りと同じ「人気メニュー」を頼む必要はありません。
かといって、空腹のまま、いつまでも店を出られないでいる必要もありません。
まずは、一番小さな「前菜」から頼んでみませんか?
「とりあえず、これを試してみよう」と。
それが口に合わないかもしれません。
でも、少なくとも「これは自分の好みではなかった」という、かけがえのない「自分に関するデータ」が得られます。
人生は、その繰り返しです。
「決める」→「行動する」→「学ぶ(失敗も含む)」→「次の決断に活かす」。
「モラトリアム症候群」という言葉に、自分を閉じ込めるのはやめにしましょう。
あなたは病気なのではなく、ただ、自分だけの「答え」が見つかるまで、真剣に迷うことを許されている「モラトリアム(猶予期間)」の真っ只中にいるだけなのですから。
その「迷い」こそが、いつかあなただけの「確信(アイデンティティ)」に変わる、一番大切な原動力となるはずです。


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