導入:あなたの「男らしさ」は、息苦しくないですか?
「男は強くあるべきだ」
「一家の大黒柱として稼がなければならない」
「人前で涙を見せるなんて、みっともない」
「弱音を吐くのは“男らしくない”」
こうした言葉を、あなたも一度は聞いたり、あるいは自分自身に言い聞かせたりした経験はないでしょうか。
私たちは、生まれ育った社会の中で、無数の「男らしさ」の規範(ルール)を浴びて生きています。それは時に、私たちを導く指針となるかもしれませんが、多くの場合は重い「鎧」となり、私たち自身を縛り付け、息苦しさの原因となっています。
仕事でどれほど辛くても「平気だ」と虚勢を張る。家庭の問題や育児の悩みを一人で抱え込む。自分の「弱さ」や「不安」を誰にも打ち明けられず、孤独に耐える。
統計データは、この「男らしさの呪縛」がもたらす深刻な結果を裏付けています。多くの国で、男性は女性よりも平均寿命が短く、自殺率は高い傾向にあります。また、アルコール依存症や暴力行動のリスクも高いことが指摘されています。これらは、助けを求めること(SOSを出すこと)を「男らしくない」としてためらう文化と無関係ではありません。
しかし、もし、その重い鎧を脱ぎ捨て、もっと自由に呼吸できるとしたら?
もし、「強さ」の意味を捉え直し、他者を思いやり、自分自身の感情を大切にすることが「新しい強さ」として認められる社会があるとしたら?
今、まさにそうした価値観の転換が世界中で起きています。
そのキーワードが**「ケアリング・マスキュリニティ(Caring Masculinity)」=「ケアする男らしさ」**です。
これは、「男らしさ」を捨てることではありません。むしろ、従来の画一的な「男らしさ」の定義を拡張し、ケア(配慮、世話、共感、感情的サポート)という、人間にとって最も重要な側面を、男性性の中心に据え直そうという試みです。
この記事では、この「ケアリング・マスキュリニティ」という概念について、なぜ今これが必要とされているのか、それが男性自身、そして社会全体にどのような恩恵をもたらすのかを、最新の研究やエビデンス、そして私たちの身近にある具体的な事例を交えながら徹底的に掘り下げていきます。
この記事を読み終える頃には、あなたが抱えているかもしれない「男らしさ」への漠然とした息苦しさの正体が明確になり、より自分らしく、豊かに生きるためのヒントが見つかるはずです。
第1章:「男らしさ」の呪縛(ヘゲモニック・マスキュリニティ)とは何か?
私たちが「ケアリング・マスキュリニティ」を理解するためには、まず、私たちがこれまで無意識に従ってきた「伝統的な男らしさ」の正体を知る必要があります。
社会学の世界では、この伝統的で支配的な男らしさのあり方を**「ヘゲモニック・マスキュリニティ(Hegemonic Masculinity:覇権的男らしさ)」**と呼びます。これは、オーストラリアの社会学者レイウィン・コンネル(R.W. Connell)によって提唱された概念です。
ヘゲモニック・マスキュリニティの特徴
ヘゲモニック・マスキュリニティとは、簡単に言えば「その社会で最も理想的とされる“男の中の男”のイメージ」であり、他の男性性(例えば、同性愛者の男性性や、物静かな男性性)や、女性性を支配し、従属させる力を持つものです。
具体的には、以下のような要素で構成されているとされます。
- 感情の抑制: 恐怖、悲しみ、不安といった「ネガティブ」とされる感情を表に出さず、常に冷静で合理的であることを求められる。「男は泣くな」はその典型です。
- 支配性と攻撃性: 他者(特に女性や、規範から外れた男性)よりも優位に立とうとし、時には力を示すこと(攻撃性や競争心)が推奨される。
- リスクテイク: 危険を顧みない行動(無謀な運転、過度な飲酒、健康診断を軽視するなど)が「勇気がある」として称賛されることがある。
- 「弱さ」の否定: 他者に依存すること、助けを求めること、ケア(世話)をすることは「女々しい」「弱い」ことと見なされ、徹底的に排除しようとする。
- 仕事・達成の重視: 経済的な成功や地位、権力を手に入れることが、男性としての価値を測る最大の物差しとされる。
なぜこれが「呪縛」なのか?
これらの規範は、一見すると「頼りがいのある男性像」に見えるかもしれません。しかし、現実には、この理想像を完璧に体現できる男性はほとんど存在しません。
多くの男性は、この「覇権的男らしさ」という高すぎるハードルを前に、「自分は男として失格ではないか」という不安やプレッシャーに常にさらされ続けることになります。
この呪縛がもたらす弊害は、科学的にも裏付けられています。
- メンタルヘルスへの深刻な影響:2018年に『Journal of Counseling Psychology』に掲載されたメタ分析(多数の研究を統合した分析)によると、伝統的な男らしさの規範(特に、感情抑制や自立の重視)を強く内面化している男性ほど、うつ症状や不安を抱えやすく、専門的な心理的助けを求めることに強い抵抗を感じる傾向があることが示されています。彼らは「助けを求める=弱さの露呈」と捉え、問題を一人で抱え込み、結果として症状を悪化させてしまうのです。
- 身体的健康のリスク:「強さ」を証明するために、自分の健康を顧みない行動(リスクテイク)が増えます。世界保健機関(WHO)の報告でも、男性が健康診断の受診率が低く、危険な労働に従事する割合が高く、アルコールや薬物の乱用率が高い背景には、こうした「男らしさ」の規範が影響していると指摘されています。
- 人間関係の貧困化:感情を抑制し、共感を示すことを「弱さ」と捉える態度は、他者との深い精神的なつながりを築くことを困難にします。特にパートナーシップにおいて、感情的なサポートや対話が不足しがちになり、関係の満足度を低下させる一因となります。また、「男同士は仕事や趣味の話だけ」といった関係性に留まり、本音の悩みを共有できる友人がいない「孤独」な状態に陥りやすいことも指摘されています。
- 社会への悪影響:支配性や攻撃性を重視する規範は、家庭内暴力(DV)や性暴力、ハラスメントといった深刻な社会問題の温床となり得ます。力を示すことが「男らしさ」の証明であると歪んだ形で学習した場合、他者をコントロールしようとする行動につながりやすいのです。
このように、伝統的な「覇権的男らしさ」は、男性自身をすり減らし、孤独にし、健康を蝕み、さらには周囲の人々や社会全体にも害を及ぼす(=Toxic Masculinity:有害な男らしさ、と呼ばれる側面)可能性があるのです。
第2章:ケアリング・マスキュリニティとは何か? なぜ今、必要なのか?
前章で見たような「男らしさの呪縛」から、男性自身を解放し、より健康で豊かな生き方を可能にするものとして登場したのが「ケアリング・マスキュリニティ」です。
ケアリング・マスキュリニティの定義
ケアリング・マスキュリニティとは、「ケア(Care)」を男性性の中心的な価値として捉え直し、実践する男らしさのあり方を指します。
ここでいう「ケア」とは、非常に広範な意味を持ちます。
- 他者へのケア: 育児、介護、家事といった具体的な「世話」だけでなく、他者の感情に寄り添う「共感」、話に耳を傾ける「傾聴」、相手を尊重しサポートする「配慮」など、精神的なサポートも含まれます。
- 自己へのケア(セルフケア): 自分の感情や身体の状態に気づき、それを大切にすること。辛い時には休み、助けを求め、自分のメンタルヘルスや身体の健康を守ることも、重要な「ケア」です。
- 社会・環境へのケア: 自分の属するコミュニティや、地球環境といった、より広い対象への配慮や貢献。
ケアリング・マスキュリニティは、伝統的な男らしさが排除しようとしてきた「ケア」や「感情」、「相互依存(助け合い)」といった側面を、男性が積極的に引き受け、それを「強さ」として再定義しようとする試みです。
伝統的男らしさとの決定的な違い
重要なのは、ケアリング・マスキュリニティが「男らしさ」を完全に否定するものではない、という点です。
- 「強さ」の再定義: 伝統的な男らしさが「支配」や「感情の抑制」を強さとしたのに対し、ケアリング・マスキュリニティは**「共感する力」「感情を受け入れる勇気」「他者を支える責任感」「助けを求める誠実さ」**を新しい「強さ」として位置づけます。
- ゼロサムではない: 伝統的な男らしさは、「女性的」とされるものを排除することで成立していました。しかし、ケアリング・マスキュリニティは、共感やケアといった、従来「女性的」とされてきた資質を、性別に関係なく「人間的」な資質として取り入れます。
- 「強さ」と「ケア」の両立: 責任感や忍耐力といった伝統的な男らしさのポジティブな側面と、ケアや共感を両立させることも可能です。例えば、家族を守る「強さ」は、経済力だけでなく、家族の心に寄り添い、家事や育児を分担する「ケア」によっても発揮されます。
なぜ今、ケアリング・マスキュリニティが注目されるのか?
この概念が近年、急速に注目を集めている背景には、深刻な社会の変化があります。
- ジェンダー平等の進展と経済構造の変化:女性の社会進出が進み、共働き世帯が主流となる中で、男性も家事や育児を担うことが(理想論だけでなく)現実的に必須となりました。もはや「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業は、多くの家庭で機能しなくなっています。「稼ぎ手」としての役割だけでは、家庭も社会も回らなくなったのです。
- 「有害な男らしさ」への反省:#MeToo運動などをきっかけに、伝統的な男らしさが助長してきた性暴力やハラスメント、支配的な行動への批判が世界的に高まりました。社会が、より共感的で、他者を尊重するあり方を求めるようになったのです。
- 男性自身の「生きづらさ」の可視化:前章で述べたような、男性が抱えるメンタルヘルスの問題や孤独が社会問題として認識され始めました。「男らしさの呪縛」が男性自身を苦しめているという事実が、研究やメディアによって広く知られるようになりました。
- パンデミックの影響:新型コロナウイルスのパンデミックは、私たちがどれほど他者とのつながりやケアに依存して生きているかを浮き彫りにしました。在宅勤務の普及により、父親が育児や家事に触れる時間が増え、ケア労働の重要性とその大変さを実感する機会ともなりました。
- 若い世代の価値観の変化:最新の研究、例えば2023年に発表された欧米の若者(Z世代・ミレニアル世代)を対象とした調査では、彼らが上の世代に比べ、伝統的な「男らしさ」の規範(特に感情抑制や支配性)に強い疑問を抱いていることが示されています。彼らは、感情表現の豊かさや、ワークライフバランス、他者への共感をより重視する傾向にあります。
社会が「支配」から「共生」へ、「競争」から「協調」へと大きく舵を切る中で、男性に求められる役割も、旧来の「支配する者」から「ケアする者」へとシフトしているのです。
第3章:ケアは「強さ」だ。実践者たちのリアルな事例
理論は分かっても、現実世界で「ケアリング・マスキュリニティ」を実践するとはどういうことでしょうか。ここでは、従来の「男らしさ」の枠組みを超え、ケアを実践する男性たちの具体的なケーススタディを見ていきましょう。
ケース1:育休を取得し、キャリア観が変わった父親(Aさん・30代・IT企業)
Aさんは、第一子の誕生を機に、3ヶ月の育児休業を取得しました。当初、職場(特に男性の上司)の反応は芳しくなく、「キャリアに傷がつくぞ」「男がそんなに休んでどうする」といった無言の圧力も感じたと言います。
「正直、最初は不安でした。同期に差をつけられるのではないか、と。でも、実際に育児が始まると、そんな不安は吹き飛びました」
Aさんが直面したのは、24時間体制の授乳、寝かしつけ、オムツ替えという、終わりなきケア労働の現実でした。
「夜中に泣き続ける子どもを抱きながら、妻と二人で途方に暮れたこともあります。それまでの仕事の『強さ』(=ロジカルに問題を解決する)は、ここでは全く役に立たなかった。求められたのは、ただひたすらな忍耐と、子どものニーズに応え続ける体力、そして妻の不満や不安を受け止める共感力でした」
育休中、Aさんは地域の「パパ友」のコミュニティにも参加しました。そこで、同じように育児に奮闘する父親たちと悩みを共有し、助け合った経験は、Aさんにとって「男同士の新しいつながり」となりました。
「育休を終えて復職した今、仕事への価値観が180度変わりました。以前は出世や成果ばかりを気にしていましたが、今はチームメンバーの体調や家庭の事情に配慮し、サポートし合うこと(ケア)が、結果的にチームの生産性を上げる『強さ』だと確信しています。そして何より、子どもと築いた強固な信頼関係は、キャリアの成功とは比べ物にならない財産です」
Aさんの事例は、育児というケア実践が、男性自身の共感力や忍耐力を育み、従来の「仕事=強さ」という価値観を、より人間的な「つながり=強さ」へと転換させることを示しています。
ケース2:「弱さ」を認め、助けを求めた男性(Bさん・40代・公務員)
Bさんは、中間管理職としての重圧、親の介護問題、思春期の子どもの問題が重なり、深刻な燃え尽き症候群と抑うつ状態に陥りました。
「典型的な“昭和の男”でしたから、自分の不調を認めたくなかった。『気合が足りない』『男がこんなことでどうする』と自分を責め続け、眠れない夜も酒でごまかしていました」
しかし、状態は悪化する一方で、ついに医師から休職を勧められます。Bさんにとって、それは「男としての敗北」を意味するように感じられました。
転機となったのは、妻からの「お願いだから、助けを求めて」という切実な言葉でした。Bさんは意を決し、休職するとともに、カウンセリングと男性専用の自助グループへの参加を始めます。
「自助グループで、自分と同じように社会的地位がありながらも、心の不調に苦しんでいる男性たちが、涙ながらに自分の弱さや苦しみを語っているのを見て、衝撃を受けました。彼らは決して『弱い』のではなく、自分の苦しみと誠実に向き合おうとする『勇気』のある人たちでした」
Bさんは、そこで初めて「辛い」「助けてほしい」と口にすることができました。
「弱さをさらけ出すことは、敗北ではなく、回復への第一歩でした。感情を抑圧する『強さ』ではなく、自分の感情をありのままに認め、他者に助けを求める『強さ』があるのだと知りました」
現在、復職したBさんは、職場でメンタルヘルス・ファーストエイド(心の応急手当)の研修を受け、部下の不調にも敏感に気づき、声をかける役割を担っています。「強がる」リーダーから、「弱さを受け入れる」リーダーへと変貌したのです。
Bさんの事例は、自己ケア(自分の弱さを認め、助けを求めること)が、いかに男性を絶望から救い出し、他者をケアする力へと転換できるかを示しています。
ケース3:介護を通じて「ケアの連鎖」を学んだ男性(Cさん・50代・自営業)
Cさんは、母親が認知症を発症し、父親と共に在宅介護を担うことになりました。Cさんは、それまで仕事一筋で、家事やケアとは無縁の生活を送っていました。
「最初は戸惑いの連続でした。排泄の介助、食事の世話、徘徊への対応。これまで『男の仕事ではない』と無意識に避けてきたことばかりです。何度も逃げ出したくなりました」
特にCさんを苦しめたのは、父親の存在でした。父親は「介護は嫁(Cさんの妻)の仕事だ」「男がオムツ交換などするな」と古い価値観を押し付け、Cさんの介護実践を妨害しようとしました。
「父もまた『男らしさの呪縛』に囚われていたのです。妻(母)を愛しているのに、どうケアしていいか分からず、プライドだけが先行してしまう。私は、父のその『弱さ』にも向き合わなければなりませんでした」
Cさんは、介護の専門家やケアマネージャーと連携するだけでなく、父親と根気強く対話を重ねました。「母さんを一番助けたいのは父さんだろ」と、父親のプライドを傷つけない形でケアへの参加を促しました。
数ヶ月後、父親も少しずつ手伝うようになり、最終的にはCさんと父親が協力して母親を看取る体制ができました。
「介護は、私に『人間は誰もがケアを必要とし、誰もがケアをする存在なのだ』という真実を教えてくれました。母をケアすることで、私は父をケアし、結果的に私自身も家族にケアされていた。この『ケアの連鎖』こそが、人間社会の基盤なのだと痛感しました」
Cさんの事例は、ケアが特定の性別の役割ではなく、すべての人間に共通する責任であり、実践であること、そしてケアを通じて世代間の「男らしさ」の壁を乗り越える可能性を示しています。
第4章:ケアがあなたと社会をどう変えるか?(科学的エビデンス)
ケアリング・マスキュリニティの実践は、個人の美談に留まりません。それが男性自身、パートナー、そして社会全体に具体的な「恩恵」をもたらすことが、多くの研究によって裏付けられています。
1. 男性自身への絶大なメリット
- メンタルヘルスの劇的な改善:伝統的な男らしさが「助けを求めない」ことを推奨し、うつや不安のリスクを高めるのに対し、ケアリング・マスキュリニティは感情の表現や自己開示を促します。近年の心理学研究では、自分の感情を認識し、他者(友人、パートナー、カウンセラー)と共有できる男性は、ストレス耐性が高く、孤独感が著しく低いことが一貫して示されています。自分の「弱さ」を認め、ケア(助けを求めること)を受け入れる能力こそが、精神的なレジリエンス(回復力)の源泉となるのです。
- 身体的健康の向上:前述の通り、伝統的な男らしさはリスク行動(過度な飲酒、無謀な運転、健康診断の軽視)と関連しています。一方、ケアリング・マスキュリニティ(特に自己ケア)を実践する男性は、自分の身体のサインに敏感になり、予防医療(検診など)を積極的に受ける傾向があります。また、育児や介護といったケア労働に従事することは、生活リズムを整え、責任感を育むことにもつながり、結果として健康的なライフスタイルを促進する可能性が指摘されています。
- より豊かで深い人間関係:これが最大の恩恵かもしれません。共感力や傾聴力を発揮し、感情的なサポートを実践する男性は、パートナーとより親密で満足度の高い関係を築けることが、多くのカップル研究で示されています。また、育児に積極的に関わる父親は、子どもとの間に強固な愛着関係を築き、子どもの発達(特に社会性や感情のコントロール)にも良い影響を与えることが知られています。友情においても、うわべだけの関係ではなく、本音で悩みを語り合える「真の友情」を築きやすくなります。
2. パートナーと家族へのメリット
- ジェンダー平等の実現と負担軽減:男性がケア(家事・育児・介護)を平等に分担することは、女性が担ってきた過重な「ケア労働」の負担を直接的に軽減します。これは、女性のキャリア継続や社会進出を可能にし、家庭内のジェンダー平等を大きく前進させます。
- パートナーシップの質の向上:2022年に発表された社会調査では、家事・育児の分担が公平であると感じているカップルほど、関係に対する満足度や幸福度が高いことが明確に示されています。男性がケアを実践することは、単なる「手伝い」ではなく、パートナーシップの基盤である「相互尊重」と「協力」の表れとして機能します。
3. 社会全体へのメリット
- 暴力と犯罪の減少:ケアリング・マスキュリニティの核となる「共感」と「非支配」の価値観は、暴力(DV、性暴力、いじめ)の抑制に直結します。感情をコントロールできず力で解決しようとするのではなく、他者の痛みを想像し、対話で解決しようとする男性が増えれば、社会はより安全になります。複数の犯罪学研究が、幼少期に父親から安定したケアを受けた男性は、将来的に暴力的行動をとるリスクが低いことを示唆しています。
- 職場の生産性向上とイノベーション:職場でケアリング・マスキュリニティを実践するリーダー(=共感的リーダーシップ)は、部下の心理的安全性を高めます。部下は「弱さ」や「失敗」を恐れずに発言・挑戦できるようになり、チームのエンゲージメント、創造性、そして最終的な生産性が向上することが、近年の経営学研究(例:Googleの「プロジェクト・アリストテレス」研究など)で明らかになっています。
- 経済的な好循環:男性が育児・介護を担うことで女性がより働けるようになれば、労働力人口が増加し、経済全体が活性化します。また、男性の育児休業取得が一般化すれば、企業も性別に関わらず優秀な人材を確保しやすくなります。ケアリング・マスキュリニティは、倫理的に正しいだけでなく、経済的にも合理的な選択なのです。
第5章:なぜ変われないのか? 変化への抵抗と、私たちが踏み出す一歩
これほど多くのメリットがあるにもかかわらず、なぜ私たちの社会は、そして男性自身は、なかなか変われないのでしょうか。そこには根深い「抵抗」が存在します。
変化を阻む「壁」
- 「男らしさ」規範の根深さ:「男は強くなければならない」という規範は、社会のあらゆる場面(家庭、学校、職場、メディア)で何世代にもわたって再生産されてきました。これは非常に強力な「社会の常識」であり、個人が意識を変えるだけでは簡単に覆せません。
- 既存の権力構造と「特権」の喪失:伝統的な男らしさは、男性に「支配する側」としての特権(例:家事をしなくてもよい、意思決定の場で優位に立てる)を与えてきました。ケアリング・マスキュリニティの実践は、これらの特権を手放し、女性と平等を分かち合うことを意味します。この「喪失」に対する無意識の恐れや抵抗(バックラッシュ)は根強く存在します。
- ロールモデルの不足:育休を取ったり、感情をオープンに語ったり、ケアを実践したりする男性は増えてはいますが、まだ社会全体の「当たり前」にはなっていません。特に上の世代には、参考にできるロールモデルが少なく、「どう振る舞えばいいか分からない」という戸惑いがあります。
- 「ケア」の過小評価:そもそも社会全体として、育児や介護といった「ケア労働」が、経済活動(稼ぐこと)よりも「価値が低い」と見なされてきた歴史があります。男性が価値が低いとされるケアを担うことは、「格下げ」のように感じられる(あるいは周囲からそう見られる)という問題があります。
私たちが今日からできること
社会構造を変えるのは時間がかかります。しかし、私たち一人ひとりが日常の中でできる「小さな実践」が、大きな変化の波を起こします。
- 1. 「男らしさ」の呪縛に気づく(自己認識)まずは、自分自身がどのような「男らしさ」の規範に縛られているかに気づくことがスタートです。「男だから〇〇すべき」「男なのに〇〇できない」と感じた時、一度立ち止まり、「その“べき”は本当に必要なのか?」と自問自答してみてください。
- 2. 感情を「言葉」にする練習感情を抑圧するのではなく、認識し、言葉にする練習をしましょう。最初は「今、ちょっとイライラしている」「不安を感じている」「嬉しい」といった簡単な言葉で構いません。それを信頼できる人(パートナーや友人)に伝えてみましょう。
- 3. 「助けて」と言う勇気を持つ(自己ケア)一人で抱え込まないこと。仕事が回らない時、精神的に辛い時、体調が悪い時。「助けてほしい」「手を貸してほしい」と声を上げることは「弱さ」ではなく、問題を解決するための最も合理的で「誠実な」行動です。
- 4. 小さな「ケア」を実践する大袈裟なことでなくて構いません。パートナーの話を(スマホを見ずに)真剣に聞く。子どもの話を遮らずに聞く。同僚の体調を気遣う。当たり前の家事(ゴミ出し、皿洗い)を「手伝う」のではなく「自分の仕事」としてやる。こうした日々の小さなケアの積み重ねが、あなたのケア能力を高めます。
- 5. メディアの中の「男らしさ」にツッコミを入れる映画やドラマ、広告などで描かれる「ステレオタイプな男性像」(例:寡黙で強いヒーロー、家事をしない父親)に気づき、「本当にそうか?」と批判的に見る癖をつけましょう。そして、ケアを実践する男性(育児をする父親、感情豊かな男性など)が描かれる作品を積極的に評価し、支持しましょう。
- 6. 対話する(特に男性同士で)「男らしさ」についての息苦しさや疑問を、男性の友人と話してみましょう。最初は勇気がいるかもしれませんが、相手も同じような悩みを抱えている可能性は高いです。職場で、あるいは友人間で、仕事や趣味以外の「生き方」や「感情」について話す場を持つことが、呪縛を解く鍵となります。
結論:ケアは、すべての人を解放する「未来の強さ」
「ケアリング・マスキュリニティ」は、男性に「弱くなれ」と要求するものでは決してありません。
むしろ、旧来の画一的で息苦しい「強さ」の定義から男性を解放し、**「共感する力」「支える力」「感情を受け入れる力」「助けを求める力」といった、より柔軟で、より人間的な「新しい強さ」**を獲得しようという、未来に向けた提案です。
ケアを実践することは、自分自身のメンタルヘルスを守り、大切な人との絆を深め、より安全で公正な社会を築くための、最も確実な投資です。
「男らしさ」の重い鎧を脱ぎ捨て、あなた自身が本来持っている「ケアする力」を解放すること。
それは、他の誰でもない、あなた自身の人生を、そしてあなたの周りの人々の人生を、間違いなく豊かにする第一歩となるはずです。


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